堂内のご案内
戦没者への慰霊と平和希求の願いを込めて
仏像との相違
平和祈念像は、仏像と趣を異にしております。仏像は来世を象徴し、台座には蓮の花を配するのが通例とされていますが、平和祈念像の場合は、山田真山画伯の壮大な宇宙観を反映し、台座に想像上の花や蛟竜を配しています。この台座の火炎は地球のマグマを表し、その上に配置されている6つの花弁は人類が日常生活を営んでいる6つの大陸を意味しています。このように平和祈念像には宇宙の中にあって人類の調和と地上の平和を静かに祈念する純一無雑な人類の理想像が表現されているのです。山田真山画伯の説明によると「平和の心象を人間像を媒体にして具現すると、日本人の感覚としては必然的にこのような形になった」とのことです。
制作者の紹介~執念の人・山田真山~
山田画伯は、1906年東京美術学校(現在の東京芸術大学)に入学、彫刻と日本画を専攻。卒業後1910年清国の北京芸徒学堂の講師として赴任し、約2年間中国に滞在しました。帰国後中央美術界の第一線で活躍し、日本芸術界に大きな足跡を残しており、その代表作は明治神宮記念絵画館に収蔵されています。1940年沖縄に帰郷し、沖縄戦を身をもって体験しました。この戦争で長男と三男を失っています。二度と再び戦争を繰り返してはならないという平和への悲願を込めて1957年(昭和32年)にこの像の制作を発表した時、全県民が賛同し、とりわけ県内の小・中・高校生も拠金して応援しました。山田画伯は、72歳の高齢をおして独力でこの大事業に取りかかり、原型が完成した時には90歳を迎えておりました。満18年の原型制作の過程で2回の転落事故に遭遇されましたが、その都度奇跡的にこれを乗り越えられました。この像には画伯の平和への執念が深く刻まれています。
沖縄平和祈念像のできるまで
~立体堆錦の技法~
通常の漆工芸は、漆を“塗って乾かす”という作業を数十回繰り返し、一定の厚さにして加飾しますが、沖縄の堆錦(ついきん)は、漆と顔料をまぜてコネた“漆のモチ”を平らにのばし、紋様に切り取ってはりつける技法です。
たった1回の作業で厚さと紋様をつくることができます。この技法を立体に応用した「立体堆錦」によって沖縄平和祈念像はつくられました。
1.原型像を作ります。
2.原型から石膏により寄型をとります。
(平和祈念像の場合は約1,000個の寄型をとりました)
3.漆と顔料を混ぜ、堆錦モチを作ります。
4.たたいて練った堆錦モチをローラーで平らに延ばします。寄型にあわせて、平たく延ばした堆錦モチを指で押していきます。
5.「さび」(沖縄産出の俗名ニービ=けいそう土の一種を漆と混ぜたもの)を作ります。
6.さびを堆錦モチの上に貼ります。(補強のため)
7.さらに麻布を貼り、更にさびを塗り、交互に重ねて厚くし、強度を強め、鉄筋も入れます。
8.寄型をはずし、でき上がった像の表面、裏面を仕上げます。
平和祈念像の組み立てにあたっては、立体堆錦をさらに強化するためFRP(ポリエステル加工)で補強製作しています。
通常の漆工芸は、漆を“塗って乾かす”という作業を数十回繰り返し、一定の厚さにして加飾しますが、沖縄の堆錦(ついきん)は、漆と顔料をまぜてコネた“漆のモチ”を平らにのばし、紋様に切り取ってはりつける技法です。
たった1回の作業で厚さと紋様をつくることができます。この技法を立体に応用した「立体堆錦」によって沖縄平和祈念像はつくられました。
1.原型像を作ります。
2.原型から石膏により寄型をとります。
(平和祈念像の場合は約1,000個の寄型をとりました)
3.漆と顔料を混ぜ、堆錦モチを作ります。
4.たたいて練った堆錦モチをローラーで平らに延ばします。寄型にあわせて、平たく延ばした堆錦モチを指で押していきます。
5.「さび」(沖縄産出の俗名ニービ=けいそう土の一種を漆と混ぜたもの)を作ります。
6.さびを堆錦モチの上に貼ります。(補強のため)
7.さらに麻布を貼り、更にさびを塗り、交互に重ねて厚くし、強度を強め、鉄筋も入れます。
8.寄型をはずし、でき上がった像の表面、裏面を仕上げます。
平和祈念像の組み立てにあたっては、立体堆錦をさらに強化するためFRP(ポリエステル加工)で補強製作しています。
群星(むりぶし)と霊石
像の頭上には、戦没者の御霊が宿る宇宙空間を象徴する群星(むりぶし)が輝いており、7つの海を表す7本の柱が像を囲んでおります。また、像の台座地階には世界的基盤の上に建立された平和祈念像を意味する世界各地からの霊石が奉納展示されております。
連作絵画「戦争と平和」について
沖縄平和祈念堂の堂内壁面には、国際画壇で活躍される西村計雄画伯が制作された20点連作の絵画「戦争と平和」 (各300号)が飾られています。昭和53年に初めて沖縄を訪れた西村画伯は、沖縄の抱える暗い過去と、 それとは対照的な現在に伝わる素晴らしい文化、美しい自然、人々の温かい心に触れて、連作絵画の制作を 決意されました。以来7年の歳月を要して完成したこの絵画は、すべて沖縄を題材に描かれ、平和を願う県民の心が表現されています。「戦争と平和」は、平和祈念像と調和して平和の象徴である芸術を通して平和の尊さを訴えています。
連作絵画「戦争と平和」
【略 歴】 西村計雄画伯
東京美術学校卒、藤島武二に師事。1943年文展(現・日展)特選。戦後早稲 田中学校と高等学校の教師を勤め、51年に42歳で単身渡仏する。ピカソの画商カーンワイラー氏との出会いを契機に、53年よりパリを中心にヨーロッパ各地で個展を開催。その作品はフランス国立近代美術館やパリ市美術館に買い上げとなった。フランス政府より芸術文化勲章、パリ・クリティック賞、フランス政府よりユーマン・プログレ勲章、勲三等瑞宝章、他受賞多数。北海道岩内郡共和町名誉町民、共和町立西村計雄記念美術館開館。2000年12月4日91歳で没。 |